Chapter1 〜hard beginning 始まり〜
2001年、ジャパン・ビア・フェスティバルで
出品した自分のビール全てが入賞した年、
僕はビールが作れなくなった。
サンクトガーレンの設立前、僕の父の経営する飲茶店でビールづくりをしていました。
「飲茶店でビールづくり?」と思われるかもしれませんね。
当時、飲茶店を国内とサンフランシスコで経営しており、向こうで出会ったビールがこの道に入ったきっかけ。
日本のビールにはない、華やかな香り、しっかりした味わい。
その味に惚れ込んでいったのです。
父も兄も家族みんなが。
「こんな美味しいものを知らなかったなんて、これまでの人生損していた!」と本気で思いました。
と同時に「何で日本にこんなビールがないのか?」とも。
当時、日本では小規模のビール醸造が認められていなかったので、
サンフランシスコでつくり、現地の直営ブルーパブで販売していました。
そして六本木の直営飲茶店にも逆輸入して販売。
それは当時の日本の産業規制の象徴としてTIMEやNEWSWEEKなどのアメリカメディアで取り上げられました。
「岩本のビール造りの夢はかなった。ただしそれは日本ではなく、アメリカで」と皮肉たっぷりに。
それが今度は日本のメディアに飛び火。それをきっかけに1994年、小規模のビール醸造が認められるようになります。
それがいわゆる“地ビール解禁”。
日本の地ビールの歴史の幕開けです。
日本に戻ってきたのは1997年、神奈川県厚木市にビール工場をつくったのです。
地ビールブームも追い風となり、最初は順風満帆でしたね。
しかし、ブームは去り状況は悪くなっていきます。国内の飲茶店も行き詰まっている感がありました。
そして2001年、ついにビールづくりができなくなったのです。皮肉にもその年、僕が出品したビール全てが入賞。
喜びはなく、虚しさに包まれた自分がいました。